「夢」
2009年09月09日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
もう卒塾してしまったが、ある生徒が
中3生の時に語っていた夢を時々思い出します。
「医者になって、青年海外協力隊でアフリカに行き、子供達を医療で助けたい。」
素晴らしい夢だなぁ…と本当に感じました。
そういう夢を抱いた子と出会えて、
指導出来たことがとても良い思い出です。
きっと人は、自己実現の欲求と同時に、
人の役に立ちたいという欲求を持っているのだと思います。
自分を高めていかなければ、助けたい人を力不足で助けられない。
しかし、自分を高めることだけが目的になれば、
それは利己的な行為にもなりかねない。
意識の面でも行動の面でも、
それは同時進行でなければならないのではないかと・・・。
自己実現の欲求と人の役に立ちたいという欲求、
どちらかに偏り過ぎていると気付けた時は、
しっかりとバランスを取っていきたいものだと考えております。
夢が、自分自身の幸せの追求と同時に、
多くの人から応援されるものでありますように♪

もう卒塾してしまったが、ある生徒が
中3生の時に語っていた夢を時々思い出します。
「医者になって、青年海外協力隊でアフリカに行き、子供達を医療で助けたい。」
素晴らしい夢だなぁ…と本当に感じました。
そういう夢を抱いた子と出会えて、
指導出来たことがとても良い思い出です。
きっと人は、自己実現の欲求と同時に、
人の役に立ちたいという欲求を持っているのだと思います。
自分を高めていかなければ、助けたい人を力不足で助けられない。
しかし、自分を高めることだけが目的になれば、
それは利己的な行為にもなりかねない。
意識の面でも行動の面でも、
それは同時進行でなければならないのではないかと・・・。
自己実現の欲求と人の役に立ちたいという欲求、
どちらかに偏り過ぎていると気付けた時は、
しっかりとバランスを取っていきたいものだと考えております。
夢が、自分自身の幸せの追求と同時に、
多くの人から応援されるものでありますように♪

タグ :青年海外協力隊
いつからでも人は変われる。
2009年09月01日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
塾講師をやっていて言うのも何だが、
私は学生時代に勉強が大嫌いだった。
勉強は、本当にやらなければいけないから、仕方なしにやっているという感覚で、
大学生になったら、それまでの反動で、遊んでばかりいた。
しかし、いざ社会人になって塾講師になってから、
勉強以上に面白いことはこの世にないのではないか、と思えるほど、
勉強が好きになった。
それまでの22年間とは全く別人のように、本ばかり読む青年になっていた。
そして、30歳の時に起業してからの4年間は、
さらに勉強の量に加速がついたように思う。
あれだけ勉強嫌いだった少年が、勉強の楽しさに気付き、
自分の知らないことを知れる喜びを、日々、感じることが出来るようになった。
もちろん、
その年齢、その時期、その環境だからこそ、気付ける大切なこととがあるというのは、
分かっているつもりである。
少年時代の私が、
今の私が大切だと思っていることを、大切だと思えるかは疑問ではある。
しかし、これだけは確実に断言できる。
人は、いつからでも変われる
昨日の自分がこうだったからと言って、
今日も全く同じ人間でいなければならないということはない。
去年の自分がこうだったからと言って、
今年も全く同じ人間でいなければならないということもない。
昨日と同じ自分、去年と同じ自分は、落ち着いているように見えるので、
カッコよく言えば、アイデンティティ(自我同一性)が確立しているように見えるかもしれない。
毎日落ち着かずにフワフワしていると、
アイデンティティが拡散しているように見えるかもしれない。
しかし、こうあらねばならない・・・という固定的な価値観は、一体、誰が決めるものなのだろう。
私は、日々変わりたい。
そして、日々、進化していきたい。
それは、未熟だからこそ、伸びしろが沢山あるからこその進化である。
1年前の私を知っている人と1年後に再会した時に、
「変わりましたね」
とか、
「また、進化しましたね。」
と言ってもらえるような自分でありたいと、いつも願っている。
そして、可能ならば、
1人・1人が変わりたいという気持ちを心の奥底で抱いている芽を、
開花させるキッカケになれるような人間になりたいとも願っているのであった。

塾講師をやっていて言うのも何だが、
私は学生時代に勉強が大嫌いだった。
勉強は、本当にやらなければいけないから、仕方なしにやっているという感覚で、
大学生になったら、それまでの反動で、遊んでばかりいた。
しかし、いざ社会人になって塾講師になってから、
勉強以上に面白いことはこの世にないのではないか、と思えるほど、
勉強が好きになった。
それまでの22年間とは全く別人のように、本ばかり読む青年になっていた。
そして、30歳の時に起業してからの4年間は、
さらに勉強の量に加速がついたように思う。
あれだけ勉強嫌いだった少年が、勉強の楽しさに気付き、
自分の知らないことを知れる喜びを、日々、感じることが出来るようになった。
もちろん、
その年齢、その時期、その環境だからこそ、気付ける大切なこととがあるというのは、
分かっているつもりである。
少年時代の私が、
今の私が大切だと思っていることを、大切だと思えるかは疑問ではある。
しかし、これだけは確実に断言できる。
人は、いつからでも変われる
昨日の自分がこうだったからと言って、
今日も全く同じ人間でいなければならないということはない。
去年の自分がこうだったからと言って、
今年も全く同じ人間でいなければならないということもない。
昨日と同じ自分、去年と同じ自分は、落ち着いているように見えるので、
カッコよく言えば、アイデンティティ(自我同一性)が確立しているように見えるかもしれない。
毎日落ち着かずにフワフワしていると、
アイデンティティが拡散しているように見えるかもしれない。
しかし、こうあらねばならない・・・という固定的な価値観は、一体、誰が決めるものなのだろう。
私は、日々変わりたい。
そして、日々、進化していきたい。
それは、未熟だからこそ、伸びしろが沢山あるからこその進化である。
1年前の私を知っている人と1年後に再会した時に、
「変わりましたね」
とか、
「また、進化しましたね。」
と言ってもらえるような自分でありたいと、いつも願っている。
そして、可能ならば、
1人・1人が変わりたいという気持ちを心の奥底で抱いている芽を、
開花させるキッカケになれるような人間になりたいとも願っているのであった。

選挙に行こう!
2009年08月25日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
「どうせ、どこが政治をやっても、『大して』変わらないから・・・」
上記のような声は、気を付けないと
選挙に行かないことを正当化出来ているようにも聞こえます。
しかし、
「全く」同じではないとするならば、
「少しは」変わるとするならば、
やはり国民は、より良いと思う方を選択するべきではないでしょうか。
弓道を例にして、矢が手元を離れる瞬間の誤差は、
真中に矢が当たる時も、大きく外れる時も、ほんの数ミリしか違いません。
手元のほんの数ミリの違いが、
数十メートル先には大きな違いとして現れます。
我々の日々の仕事や時間の使い方でも同じことで、
1日単位ではほんの僅かの差しかなかったとしても、
それを1年継続出来た時には大きな違いとして現れます。
確かに、
歴史的には選挙権の拡大とともに、投票率は低くなりがちです。
みんなが平等に1票を得た普通選挙制度では、
1票の価値は大きく下がったと言わざるを得ません。
大衆社会の中で、
個人・個人が無力感を感じやすくなったのも事実でしょう。
しかし、それでも1人・1人の1票は決して無価値ではなく、
また、
どの政党が政治を担当するかで、
少なくても矢を射る手元は間違いなく変わります。
選挙に行く・行かないは、権利であって義務ではありませんが、
それでも、行くべきものだと考えます。
日本を良くしていきたいなら、
日本国民1人・1人が良くなっていく以外の王道はありません。
「どうせ、どこが政治をやっても、『大して』変わらないから・・・」
上記のような声は、気を付けないと
選挙に行かないことを正当化出来ているようにも聞こえます。
しかし、
「全く」同じではないとするならば、
「少しは」変わるとするならば、
やはり国民は、より良いと思う方を選択するべきではないでしょうか。
弓道を例にして、矢が手元を離れる瞬間の誤差は、
真中に矢が当たる時も、大きく外れる時も、ほんの数ミリしか違いません。
手元のほんの数ミリの違いが、
数十メートル先には大きな違いとして現れます。
我々の日々の仕事や時間の使い方でも同じことで、
1日単位ではほんの僅かの差しかなかったとしても、
それを1年継続出来た時には大きな違いとして現れます。
確かに、
歴史的には選挙権の拡大とともに、投票率は低くなりがちです。
みんなが平等に1票を得た普通選挙制度では、
1票の価値は大きく下がったと言わざるを得ません。
大衆社会の中で、
個人・個人が無力感を感じやすくなったのも事実でしょう。
しかし、それでも1人・1人の1票は決して無価値ではなく、
また、
どの政党が政治を担当するかで、
少なくても矢を射る手元は間違いなく変わります。
選挙に行く・行かないは、権利であって義務ではありませんが、
それでも、行くべきものだと考えます。
日本を良くしていきたいなら、
日本国民1人・1人が良くなっていく以外の王道はありません。
タグ :選挙
新盆
2009年08月14日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
父が6月9日に亡くなって、早2ヶ月・・・
10日祭があって、50日祭があって、そして今日は新盆・・・
故人がお盆の間だけは帰ってきてくれるという日本古来の風習
自分にとって本当に大切な人を失って、初めてそれを信じたい気持ちになった。
提灯が飾られた神棚を前に、母が、
「良いでしょう。これでお父さんも帰ってきやすいでしょう。」
と言った時、
「そうだね、良かったね。帰って来易いね。」
と話をした。
朝一番で、神主さんが新盆の祝詞を神棚に上げてくださった。
その後親族の方々も帰られた静かな家で、
父が亡くなってから1度も観ることが出来なかった祖母の白寿の祝いのDVDを観た。
今日は父が帰ってくる日・・・父のことを沢山感じたい・・・そういう心境だった。
祖母の白寿の祝いで、父は会の締めの挨拶をしていた。
「私も命に関わる大病をして、初めて命の有難さ・健康の有難さが分かりました。
やはり我々は生かされているという感謝の気持ちで生きていくべきだと思いました。」
あの挨拶を父がしたのが、今年の1月2日・・・
まだ1年も経っていないのに、随分と昔の出来事のように感じる。
こんなに早いなら、もっと父が生きている間に親孝行をしておけばと良かったと思う。
ただ・ただ自分の愚かさを恥じるばかりだが、
父が三途の川を渡って天国へ行き、
そして毎年お盆の時だけは帰ってきてくれることを信じて、
これから出来る祖先供養の気持ちを持ち続けたい。
お盆休みは、GWなどとは違う・・・
自分が生かされているという感謝の気持ちを祖先に捧げる期間。
そういう日本人としての風習を、初めて身近に感じることになった父の新盆でした。

父が6月9日に亡くなって、早2ヶ月・・・
10日祭があって、50日祭があって、そして今日は新盆・・・
故人がお盆の間だけは帰ってきてくれるという日本古来の風習
自分にとって本当に大切な人を失って、初めてそれを信じたい気持ちになった。
提灯が飾られた神棚を前に、母が、
「良いでしょう。これでお父さんも帰ってきやすいでしょう。」
と言った時、
「そうだね、良かったね。帰って来易いね。」
と話をした。
朝一番で、神主さんが新盆の祝詞を神棚に上げてくださった。
その後親族の方々も帰られた静かな家で、
父が亡くなってから1度も観ることが出来なかった祖母の白寿の祝いのDVDを観た。
今日は父が帰ってくる日・・・父のことを沢山感じたい・・・そういう心境だった。
祖母の白寿の祝いで、父は会の締めの挨拶をしていた。
「私も命に関わる大病をして、初めて命の有難さ・健康の有難さが分かりました。
やはり我々は生かされているという感謝の気持ちで生きていくべきだと思いました。」
あの挨拶を父がしたのが、今年の1月2日・・・
まだ1年も経っていないのに、随分と昔の出来事のように感じる。
こんなに早いなら、もっと父が生きている間に親孝行をしておけばと良かったと思う。
ただ・ただ自分の愚かさを恥じるばかりだが、
父が三途の川を渡って天国へ行き、
そして毎年お盆の時だけは帰ってきてくれることを信じて、
これから出来る祖先供養の気持ちを持ち続けたい。
お盆休みは、GWなどとは違う・・・
自分が生かされているという感謝の気持ちを祖先に捧げる期間。
そういう日本人としての風習を、初めて身近に感じることになった父の新盆でした。

タグ :お盆
『古橋イズム』の継承
2009年08月05日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
(以下、8月4日の南日本新聞のスポーツ評論より引用)
・「けがしたことがかえってプラスになった。
普通にやっていたのでは勝負にならない。
相手が5ならこっちは10、相手が10ならこっちは20やろうと、前向きに考えた」
・食事はサツマイモだけ。
それでいて1日6時間で2万メートル、ときには9時間かけて3万メートルも泳いだ。
連合国軍総司令部(GHQ)に出入りする知人に頼んで米国の泳法の教本を入手し、
寝床で辞書を片手に勉強した。
・猛練習と創意工夫は元をたどれば、日本人が実生活の中でずっと持ち続けてきた勤勉さに行き着く。
高い志を持たなければ、困難に立ち向かう勇気は生まれない
(以上、引用終了です。)
自分より頑張っていない人を探すのは簡単です。
しかし、同じように自分よりも頑張っている人が沢山いるのは事実です。
まして、先人から探すとなれば尚更でしょう。
なまくらな自分に負けそうな時に、
功をなした日本の先人の業績や精神に触れるのは、とても元気になります。
失礼ながら、今回の訃報まで古橋名誉会長のことは存じませんでしたが、
日本に凄い方がいらっしゃったのだと感じたところでした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
(以下、8月4日の南日本新聞のスポーツ評論より引用)
・「けがしたことがかえってプラスになった。
普通にやっていたのでは勝負にならない。
相手が5ならこっちは10、相手が10ならこっちは20やろうと、前向きに考えた」
・食事はサツマイモだけ。
それでいて1日6時間で2万メートル、ときには9時間かけて3万メートルも泳いだ。
連合国軍総司令部(GHQ)に出入りする知人に頼んで米国の泳法の教本を入手し、
寝床で辞書を片手に勉強した。
・猛練習と創意工夫は元をたどれば、日本人が実生活の中でずっと持ち続けてきた勤勉さに行き着く。
高い志を持たなければ、困難に立ち向かう勇気は生まれない
(以上、引用終了です。)
自分より頑張っていない人を探すのは簡単です。
しかし、同じように自分よりも頑張っている人が沢山いるのは事実です。
まして、先人から探すとなれば尚更でしょう。
なまくらな自分に負けそうな時に、
功をなした日本の先人の業績や精神に触れるのは、とても元気になります。
失礼ながら、今回の訃報まで古橋名誉会長のことは存じませんでしたが、
日本に凄い方がいらっしゃったのだと感じたところでした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
タグ :古橋廣之進
暑ければ汗をかく!
2009年06月16日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
梅雨入りしてから、あまり雨が降っていない、ここ鹿児島(^^;
昨日、今日と連日で最高気温が30度を超えているらしい(^^;
一昨日、昨日と2日続けて、9:00~18:00で、
中1~中3の期末テスト勉強会を実施した。
初めての中1生を含めて、本当に2日間、一生懸命に勉強を頑張っていた♪
あれだけ頑張れば、当然にそれ相応の結果が出ると思うが、
こちら側からハッパをかけなくても、自ら成績を上げたいという負けん気が
自然に湧いてくるように期待している。
「先生、暑いのでクーラーを入れて下さい。」
そのように申し出る生徒がいたが、2秒で拒否した。
「暑ければ、汗をかく。」
人間は暑ければ汗をかいて、寒ければ貧乏ゆすり等をして
自分の体温を調整しようとする。(恒常性維持機能:ホメオスタシス)
暑い時はすぐにクーラーを入れ、寒い時はすぐに暖房を入れるような態度は、
自分の身体を強くしないばかりか、
自分が変わるべき時に周囲を変えるような態度と同じである。
自分自身が変われば良いのである。
・暑いから勉強に集中できないのだろうか。
・周囲に人がいるから集中できないのだろうか。
・地域で音がするから集中できないのだろうか。
答えは、いずれも「否」である。
集中していないから、それらのことが気になるだけのことである。
本当に集中して、熱中している時は、
時間が経過したことも
お腹が空いていることも、
周囲が騒がしいことにも、
一切気にならないのである。
正確に言えば、
そのような関係のないことが、見えなかったり聞こえなかったりするのだ。
(脳科学でいうところの、情報がラスを通過しない)
・目標をしっかりと見据える
・そのために必要な努力を、集中して行う。
・周囲を変えるのではなく、自らが変わろうとする(主体変容)
夏は暑いのが当たり前で、冬は寒いのが当たり前である。
人間はそれに対応できるのである。
生徒の皆さん、ごめんなさいね・・・「クーラーを入れて下さい」と
お願いされても、2秒で却下してしまう厳しい塾で(^^)
といいつつ、6月のクーラーはあまりに早いと思ったので却下しただけで、
夏期講習の時は涼しい快適な環境を準備しています(^^;
梅雨入りしてから、あまり雨が降っていない、ここ鹿児島(^^;
昨日、今日と連日で最高気温が30度を超えているらしい(^^;
一昨日、昨日と2日続けて、9:00~18:00で、
中1~中3の期末テスト勉強会を実施した。
初めての中1生を含めて、本当に2日間、一生懸命に勉強を頑張っていた♪
あれだけ頑張れば、当然にそれ相応の結果が出ると思うが、
こちら側からハッパをかけなくても、自ら成績を上げたいという負けん気が
自然に湧いてくるように期待している。
「先生、暑いのでクーラーを入れて下さい。」
そのように申し出る生徒がいたが、2秒で拒否した。
「暑ければ、汗をかく。」
人間は暑ければ汗をかいて、寒ければ貧乏ゆすり等をして
自分の体温を調整しようとする。(恒常性維持機能:ホメオスタシス)
暑い時はすぐにクーラーを入れ、寒い時はすぐに暖房を入れるような態度は、
自分の身体を強くしないばかりか、
自分が変わるべき時に周囲を変えるような態度と同じである。
自分自身が変われば良いのである。
・暑いから勉強に集中できないのだろうか。
・周囲に人がいるから集中できないのだろうか。
・地域で音がするから集中できないのだろうか。
答えは、いずれも「否」である。
集中していないから、それらのことが気になるだけのことである。
本当に集中して、熱中している時は、
時間が経過したことも
お腹が空いていることも、
周囲が騒がしいことにも、
一切気にならないのである。
正確に言えば、
そのような関係のないことが、見えなかったり聞こえなかったりするのだ。
(脳科学でいうところの、情報がラスを通過しない)
・目標をしっかりと見据える
・そのために必要な努力を、集中して行う。
・周囲を変えるのではなく、自らが変わろうとする(主体変容)
夏は暑いのが当たり前で、冬は寒いのが当たり前である。
人間はそれに対応できるのである。
生徒の皆さん、ごめんなさいね・・・「クーラーを入れて下さい」と
お願いされても、2秒で却下してしまう厳しい塾で(^^)
といいつつ、6月のクーラーはあまりに早いと思ったので却下しただけで、
夏期講習の時は涼しい快適な環境を準備しています(^^;
「ヤル気」の炎
2009年06月03日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
・水素のように、自ら「ヤル気」の炎を燃やしている人もいる。
・酸素のように、誰かの「ヤル気」の炎を、より燃え上がらせている人もいる。
・そして、二酸化炭素のように、人の「ヤル気」の炎を消すようなことをする人もいる。
ヤル気「1」を、「2」にも「3」にもすることは可能だろうが、
「0」の人には、何をかけても「0」である。
何かを始める時は、自ら最低限の「ヤル気」は持って来てもらいたい。
やる気「0」の人には、例え世界最高のコーチがついても、
その炎を燃え上がらせることは出来ないだろうから。
さて、さて
私は自燃性の要素と助燃性の要素のどちらの割合が多いのであろうか・・・・
きっとヤル気には、
正の数だけでなく負の数もあるのだろう・・・
そしてその正負の振れ幅は、
やじろべえのような関係のように感じる。
やはり、いつも「0」周辺でしか振れていない人が
私は一番苦手かも(^^;

・水素のように、自ら「ヤル気」の炎を燃やしている人もいる。
・酸素のように、誰かの「ヤル気」の炎を、より燃え上がらせている人もいる。
・そして、二酸化炭素のように、人の「ヤル気」の炎を消すようなことをする人もいる。
ヤル気「1」を、「2」にも「3」にもすることは可能だろうが、
「0」の人には、何をかけても「0」である。
何かを始める時は、自ら最低限の「ヤル気」は持って来てもらいたい。
やる気「0」の人には、例え世界最高のコーチがついても、
その炎を燃え上がらせることは出来ないだろうから。
さて、さて
私は自燃性の要素と助燃性の要素のどちらの割合が多いのであろうか・・・・
きっとヤル気には、
正の数だけでなく負の数もあるのだろう・・・
そしてその正負の振れ幅は、
やじろべえのような関係のように感じる。
やはり、いつも「0」周辺でしか振れていない人が
私は一番苦手かも(^^;

【ビジネス】正しいこと小さいこと基本をやり続ける。
2009年05月26日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
『一勝九敗』

一時、アマゾン等では入手出来なかった本です。
やっと入手して、読むことが出来ました♪
今回、私が最も印象に残った所をご紹介します。
(以下、引用です。)
設立当初から
「こういう会社にしたい」といった一貫した長期ビジョンがない会社は、成長しない。
自動的に商売が繁盛するということは、普通はありえない。(中略)
成功する会社に共通しているのは
「正しいこと、小さいこと基本」を徹底的にやり切るということだ。
一見するとできているように見えるのだが、ほとんどの会社はできていない。
やる以上は徹底して、
100%正しいこと、小さいこと、基本をやり続ける。
そういう一歩一歩がとても大事なのだ。
0.001メートルつまり1ミリの差が、先に行けば行くほど大きくなる。
毎日基本をやっていれば、ことは解決する。
それをやらないと次のステージには行けない。
「毎日毎日、飽きるほどやること」が成功する秘訣である。
(以上、引用終了です。)
このことが本当に大切なことだと実感できるようになったのが、
起業4年目としての私の成長なのだと思っています♪
『一勝九敗』

一時、アマゾン等では入手出来なかった本です。
やっと入手して、読むことが出来ました♪
今回、私が最も印象に残った所をご紹介します。
(以下、引用です。)
設立当初から
「こういう会社にしたい」といった一貫した長期ビジョンがない会社は、成長しない。
自動的に商売が繁盛するということは、普通はありえない。(中略)
成功する会社に共通しているのは
「正しいこと、小さいこと基本」を徹底的にやり切るということだ。
一見するとできているように見えるのだが、ほとんどの会社はできていない。
やる以上は徹底して、
100%正しいこと、小さいこと、基本をやり続ける。
そういう一歩一歩がとても大事なのだ。
0.001メートルつまり1ミリの差が、先に行けば行くほど大きくなる。
毎日基本をやっていれば、ことは解決する。
それをやらないと次のステージには行けない。
「毎日毎日、飽きるほどやること」が成功する秘訣である。
(以上、引用終了です。)
このことが本当に大切なことだと実感できるようになったのが、
起業4年目としての私の成長なのだと思っています♪
タグ :一勝九敗
【ビジネス】自営業者とモチベーション
2009年05月20日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
自営業者にとっての最大のライバルは
「自分自身」
だと思っている。
起業した時は、誰でも夢に向かって走り始めたところだから、
みんなモチベーションが高い。
しかし、起業前に自分が思い描いたビジネスプラン通りにはいかない。
もっと単刀直入にいうと自分が思っている以上に、世間は厳しい。
自分が思っている通りに事が進めば、
それは誰だって、いつも高いモチベーションを保つことができる。
でも、上手くいかない時間が長くなればなるほど、
どうしてもモチベーションは下がり気味になる。
パーソナルモチベーターを名乗っている私は、
これまで「モチベーション」とか「ヤル気」とかというテーマに関しては、
かなりの時間とお金を使って勉強してきた。
その私の今の結論として、
いつも高いモチベーションを保ち続けるのは無理だということ。
人間はそんなに強くはない。
ただポイントは、
下がってきたモチベーションをいかに早く損切りして、また上向きに戻せるかということ・・・
モチベーションが下がった状態を出来るだけ短くできれば、
周囲からは、いつもモチベーションが高いように見える。
自営業者のモチベーションの低い状態が長く続けば、
それは絶対に商品やサービスの質が下がる。
下がれば世間は厳しいので、必ず業績も連動して下がる。
負のスパイラルに陥りやすくなる。
それを防ぐには、自営業者のモチベーション管理は極めて重要である。

私は肝は3つしかないと考えている。
①身体を休めること(身体と心は連動しているから。)
②モチベーションが下がっている自分を決して責めないこと
(人間だから下がってもいい。しかし、下がるところまで
下がったら底を蹴って、また上向きになろうと意識すること)
③元気な人から元気をもらうこと
半年間休みなしで走り続けてきた私には、①が足りないようだ。
人から「疲れているね。」と声をかけられ始めているので、
これはサービスを提供する人間として明らかにマズイ。
5月後半から、意識的に「休み」を取ろう。
ダラダラし過ぎてもダメ、しかし、キチキチし過ぎてもダメ・・・
何事もバランスが重要だということだ。
自営業者にとっての最大のライバルは
「自分自身」
だと思っている。
起業した時は、誰でも夢に向かって走り始めたところだから、
みんなモチベーションが高い。
しかし、起業前に自分が思い描いたビジネスプラン通りにはいかない。
もっと単刀直入にいうと自分が思っている以上に、世間は厳しい。
自分が思っている通りに事が進めば、
それは誰だって、いつも高いモチベーションを保つことができる。
でも、上手くいかない時間が長くなればなるほど、
どうしてもモチベーションは下がり気味になる。
パーソナルモチベーターを名乗っている私は、
これまで「モチベーション」とか「ヤル気」とかというテーマに関しては、
かなりの時間とお金を使って勉強してきた。
その私の今の結論として、
いつも高いモチベーションを保ち続けるのは無理だということ。
人間はそんなに強くはない。
ただポイントは、
下がってきたモチベーションをいかに早く損切りして、また上向きに戻せるかということ・・・
モチベーションが下がった状態を出来るだけ短くできれば、
周囲からは、いつもモチベーションが高いように見える。
自営業者のモチベーションの低い状態が長く続けば、
それは絶対に商品やサービスの質が下がる。
下がれば世間は厳しいので、必ず業績も連動して下がる。
負のスパイラルに陥りやすくなる。
それを防ぐには、自営業者のモチベーション管理は極めて重要である。

私は肝は3つしかないと考えている。
①身体を休めること(身体と心は連動しているから。)
②モチベーションが下がっている自分を決して責めないこと
(人間だから下がってもいい。しかし、下がるところまで
下がったら底を蹴って、また上向きになろうと意識すること)
③元気な人から元気をもらうこと
半年間休みなしで走り続けてきた私には、①が足りないようだ。
人から「疲れているね。」と声をかけられ始めているので、
これはサービスを提供する人間として明らかにマズイ。
5月後半から、意識的に「休み」を取ろう。
ダラダラし過ぎてもダメ、しかし、キチキチし過ぎてもダメ・・・
何事もバランスが重要だということだ。
タグ :モチベーション
最初の1歩は小さく見えても・・・
2009年05月15日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
友人から電話をもらった。
新しいことに挑戦し始めたことに対する報告の電話だった。
何だかとても嬉しそうだった。
将来の夢というと、小学生くらいまではすぐに言えたり書けたりするのだが、
中学生くらいになると極端に言えなかったり書けなかったりする。
きっと、その頃から社会を悪い意味で知ってしまって、
急に考え方が現実的になってきているのではないかと思う。
そして、年齢が上がるにつれて、大きな夢ではなくて、
眼先の目標を追っかけるようになっているように感じる。
かくいう私も、自分の夢を考え始めたのが、30歳の時だったから、
はっきり言って他人のことを悪くは言えない。
・何となく時間を過ごし
・夢がない
というのが、どういう状況かは認識しているつもりで。
4年前に当時の私としては理想状態と考えていた夢は、
走っている途中では、最初に予想していたよりははるかに小さな夢だったようで、
今は、一通過点としての目標として考えている。
そして、次から次へと夢が大きくなっていっている。
でも、今、胸に抱いている大きな夢も、
4年前に小さな夢を描いて、行動を始めたからこそ思いついたことであって、
最初から今の夢は、きっと想像できなかったと思う。
・小さく見える最初の1歩が、ものすごく大きい
最終的な人生のゴールなんて、そんなに簡単に見つかるものではない。
また、それが見つかるまで走り始めてはいけないということでもない。
今、私が夢で描いていることが、
1年後2年後は、違うことを描いているかもしれない。
でも、動き続けているからこそ、
いろいろなことが見えてくることだけは確かだと思う。
だから、どんなに小さく見える一歩でも、
やっぱり踏み出してみることが大切だと心から思う。
私は、友人が踏み出した、小さく見える最初の1歩を
心より歓迎したい♪
友人から電話をもらった。
新しいことに挑戦し始めたことに対する報告の電話だった。
何だかとても嬉しそうだった。
将来の夢というと、小学生くらいまではすぐに言えたり書けたりするのだが、
中学生くらいになると極端に言えなかったり書けなかったりする。
きっと、その頃から社会を悪い意味で知ってしまって、
急に考え方が現実的になってきているのではないかと思う。
そして、年齢が上がるにつれて、大きな夢ではなくて、
眼先の目標を追っかけるようになっているように感じる。
かくいう私も、自分の夢を考え始めたのが、30歳の時だったから、
はっきり言って他人のことを悪くは言えない。
・何となく時間を過ごし
・夢がない
というのが、どういう状況かは認識しているつもりで。
4年前に当時の私としては理想状態と考えていた夢は、
走っている途中では、最初に予想していたよりははるかに小さな夢だったようで、
今は、一通過点としての目標として考えている。
そして、次から次へと夢が大きくなっていっている。
でも、今、胸に抱いている大きな夢も、
4年前に小さな夢を描いて、行動を始めたからこそ思いついたことであって、
最初から今の夢は、きっと想像できなかったと思う。
・小さく見える最初の1歩が、ものすごく大きい
最終的な人生のゴールなんて、そんなに簡単に見つかるものではない。
また、それが見つかるまで走り始めてはいけないということでもない。
今、私が夢で描いていることが、
1年後2年後は、違うことを描いているかもしれない。
でも、動き続けているからこそ、
いろいろなことが見えてくることだけは確かだと思う。
だから、どんなに小さく見える一歩でも、
やっぱり踏み出してみることが大切だと心から思う。
私は、友人が踏み出した、小さく見える最初の1歩を
心より歓迎したい♪
まずは目標を親子で話し合ってみる。
2009年05月13日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
『プロフェッショナルたちの脳活用法』
茂木 健一郎

『プロフェッショナル 仕事の流儀』の100回記念スペシャル
「プロに学べ!脳活用法スペシャル」の出版化です(^^)
特に印象に残った場所を、3か所ご紹介します♪
(以下、引用です。)
・「やる気」を脳科学的に説明すれば、
「目標を成し遂げ、達成感やお金などの報酬を得ようとする欲求」ということになる。
やる気が出ないというのは、目標と報酬、そのどちらかに問題があるといっていいだろう。
・しかし、生きていく中でつらいことや苦しいことを体験し、
それらの困難を乗り越えたあとには報酬が得られるということを、脳は学ぶ。
そして、「将来的に報酬が期待できる」と思えれば、
それが目標となり、楽ではないとわかっていても、目標を達成するための行動が起こせるようになる。
・お金や物では、一時的にしか人のやる気は起こせない。
一方、「評価される」「褒められる」ことは、心を元気にする魔法の薬のようなものだ。
人から認められたり、感謝されたりする喜びは、無限にやる気を引き出す起爆剤になりうるのである。
(以上、引用終了です。)
塾に入塾して来る生徒で、もしも「やる気」がなかったら、
その99%は明確な「目標」を持っていないからだと思います。
・目標点数は?
・目標順位は??
・志望校は???
と問いかけても、それに対しての即答がないのです。
「何となく~」で勉強を始めれば、「何となく~」の成績しか取れないのは、当たり前です。
では、なぜ子供達は明確な「目標」を持っていないのでしょうか。
それには色々な理由があると思いますが、
1つには、自分自身に対する「自信のなさ」だと思います。
もしも、これまで自分が設定した目標に対して周囲から一生懸命に励ましてもらったり、
または達成したりしていたら、それが喜びとなって、
また次の新しい目標を設定しているはずです。
目標を持っていない子は、
・目標を設定しても、それを達成できるという確信が持てない
のだと思います。
色々な本などに、それぞれの目標設定についての考え方があります。
恐らくどの方法でも、実践して継続すれば、効果があるのでしょう。
だから、どの方法でも、構いません。
・まずは目標を親子で話し合ってみる
ことが、
子どもの「やる気」を引き出す最大にして最初の一歩であることは間違いがないでしょう♪
「叶う夢だからこそ、心に宿る」 (望月俊孝)
▼茂木健一郎 クオリア日記
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/
『プロフェッショナルたちの脳活用法』
茂木 健一郎

『プロフェッショナル 仕事の流儀』の100回記念スペシャル
「プロに学べ!脳活用法スペシャル」の出版化です(^^)
特に印象に残った場所を、3か所ご紹介します♪
(以下、引用です。)
・「やる気」を脳科学的に説明すれば、
「目標を成し遂げ、達成感やお金などの報酬を得ようとする欲求」ということになる。
やる気が出ないというのは、目標と報酬、そのどちらかに問題があるといっていいだろう。
・しかし、生きていく中でつらいことや苦しいことを体験し、
それらの困難を乗り越えたあとには報酬が得られるということを、脳は学ぶ。
そして、「将来的に報酬が期待できる」と思えれば、
それが目標となり、楽ではないとわかっていても、目標を達成するための行動が起こせるようになる。
・お金や物では、一時的にしか人のやる気は起こせない。
一方、「評価される」「褒められる」ことは、心を元気にする魔法の薬のようなものだ。
人から認められたり、感謝されたりする喜びは、無限にやる気を引き出す起爆剤になりうるのである。
(以上、引用終了です。)
塾に入塾して来る生徒で、もしも「やる気」がなかったら、
その99%は明確な「目標」を持っていないからだと思います。
・目標点数は?
・目標順位は??
・志望校は???
と問いかけても、それに対しての即答がないのです。
「何となく~」で勉強を始めれば、「何となく~」の成績しか取れないのは、当たり前です。
では、なぜ子供達は明確な「目標」を持っていないのでしょうか。
それには色々な理由があると思いますが、
1つには、自分自身に対する「自信のなさ」だと思います。
もしも、これまで自分が設定した目標に対して周囲から一生懸命に励ましてもらったり、
または達成したりしていたら、それが喜びとなって、
また次の新しい目標を設定しているはずです。
目標を持っていない子は、
・目標を設定しても、それを達成できるという確信が持てない
のだと思います。
色々な本などに、それぞれの目標設定についての考え方があります。
恐らくどの方法でも、実践して継続すれば、効果があるのでしょう。
だから、どの方法でも、構いません。
・まずは目標を親子で話し合ってみる
ことが、
子どもの「やる気」を引き出す最大にして最初の一歩であることは間違いがないでしょう♪
「叶う夢だからこそ、心に宿る」 (望月俊孝)
▼茂木健一郎 クオリア日記
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/
タグ :茂木健一郎
足るを知る
2009年05月01日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
20歳代まで、「みんなから好かれたい」と思って、
自分なりに一生懸命に心配りをしていた自分がいた。
(と言っても、当時から毒舌は毒舌だったが(汗
ある日、自分なりに「みんなから好かれたい」と思っていた自分が、
誰からも好かれていないとさえ感じる瞬間があった。
・すごくガッカリした
・とても落ち込んだ
・これまでの自分なりの努力はなんだったのだろうと思った。
でも、今ではあの日に、とても感謝している。
あの日が、私に「足るを知る」というのを教えてくれたからだ。
「みんなから好かれたいと思って、誰か一人からでも嫌われたらその度に落ち込んでしまう。
だったら、たとえ世界中の99%の人に嫌われたとしても『自分らしく』生きて、
たった1人でも『あなたに出会えて本当に良かった♪』と言ってくれる人がいたら、
それを自分の幸せと感じよう!」
友達の人数で言ったら、今の私は、たぶん同情されるくらい少ないと思う。
でも、ゼロではない。
私の失敗を自分の失敗のように心配してくれて、
私の成功を自分の成功のように喜んでくれる人が確かにいる・・・
昨晩は、私にとってまさに親友と呼べる人とそのご家族の集まりだった(^^)
心からその縁に感謝し、これからも幸せを感じたい♪
これからもそういう人たちとの縁を大切にしつつ、
自分が幸せで家族も幸せで、親友も幸せで、その家族も幸せで…
そういう感覚を大切にしていきたい。
・幸せな人こそ人を幸せに出来る
・だったら、まず自分自身が幸せを感じる感性を持つこと
・足るを知り、決して傲慢にならず、かつ決して卑屈にもならず・・・

20歳代まで、「みんなから好かれたい」と思って、
自分なりに一生懸命に心配りをしていた自分がいた。
(と言っても、当時から毒舌は毒舌だったが(汗
ある日、自分なりに「みんなから好かれたい」と思っていた自分が、
誰からも好かれていないとさえ感じる瞬間があった。
・すごくガッカリした
・とても落ち込んだ
・これまでの自分なりの努力はなんだったのだろうと思った。
でも、今ではあの日に、とても感謝している。
あの日が、私に「足るを知る」というのを教えてくれたからだ。
「みんなから好かれたいと思って、誰か一人からでも嫌われたらその度に落ち込んでしまう。
だったら、たとえ世界中の99%の人に嫌われたとしても『自分らしく』生きて、
たった1人でも『あなたに出会えて本当に良かった♪』と言ってくれる人がいたら、
それを自分の幸せと感じよう!」
友達の人数で言ったら、今の私は、たぶん同情されるくらい少ないと思う。
でも、ゼロではない。
私の失敗を自分の失敗のように心配してくれて、
私の成功を自分の成功のように喜んでくれる人が確かにいる・・・
昨晩は、私にとってまさに親友と呼べる人とそのご家族の集まりだった(^^)
心からその縁に感謝し、これからも幸せを感じたい♪
これからもそういう人たちとの縁を大切にしつつ、
自分が幸せで家族も幸せで、親友も幸せで、その家族も幸せで…
そういう感覚を大切にしていきたい。
・幸せな人こそ人を幸せに出来る
・だったら、まず自分自身が幸せを感じる感性を持つこと
・足るを知り、決して傲慢にならず、かつ決して卑屈にもならず・・・

タグ :足るを知る
自分との約束
2009年04月24日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
自分との約束を破ることは自分を裏切ること。
世の中に出回っている勉強法も育児法もダイエット法も
どれも効果のあるものばかりだろう。
問題なのは、それを継続できる人が少ないという、ただ1点に尽きる。
「今年はこれを絶対に続けよう!」
と決めたことが3つある。
・ブログ
・自分の時間を毎日手帳に記録する。
・お盆と正月以外は、毎日仕事をする。
幸せは主観的なもので、成功は客観的なものだと考えている。
今の私は、幸せだがまだ成功はしていない。
幸せでもありたいし、成功もしたい。
凡人である私が、
人並みの努力で人並み以上の成功を手に入れることは100%ない。
上位1%になるためには
上位1%の努力をしなければならない。
その1番分かりやすい基準が、時間の質と量である。
質を高めるために、その日・その日に考えたことをブログに文章化し、
時間の使い方を手帳に記録する。
量は、出勤日数を多くし、勤務時間を長くする。
習慣化するまでは、キツイと思うこともあった。
「今日1日くらいは休んでもいいかな」
と思ったことは、正直1度や2度ではない。
でも、結局上記の3つは全部継続できている。
なぜなら、自分自身とした約束だからだ。

自分の人生・・・反省はしても後悔はしたくない。
絶対に他人の責めにせずに、100%自己責任という姿勢で臨みたい。
そして、1度立てた目標は、
何年・何十年かかっても、達成するまでその目標を下げずに、
主体変容の心構えで生きていきたい。
自分との約束を破ることは自分を裏切ること。
世の中に出回っている勉強法も育児法もダイエット法も
どれも効果のあるものばかりだろう。
問題なのは、それを継続できる人が少ないという、ただ1点に尽きる。
「今年はこれを絶対に続けよう!」
と決めたことが3つある。
・ブログ
・自分の時間を毎日手帳に記録する。
・お盆と正月以外は、毎日仕事をする。
幸せは主観的なもので、成功は客観的なものだと考えている。
今の私は、幸せだがまだ成功はしていない。
幸せでもありたいし、成功もしたい。
凡人である私が、
人並みの努力で人並み以上の成功を手に入れることは100%ない。
上位1%になるためには
上位1%の努力をしなければならない。
その1番分かりやすい基準が、時間の質と量である。
質を高めるために、その日・その日に考えたことをブログに文章化し、
時間の使い方を手帳に記録する。
量は、出勤日数を多くし、勤務時間を長くする。
習慣化するまでは、キツイと思うこともあった。
「今日1日くらいは休んでもいいかな」
と思ったことは、正直1度や2度ではない。
でも、結局上記の3つは全部継続できている。
なぜなら、自分自身とした約束だからだ。

自分の人生・・・反省はしても後悔はしたくない。
絶対に他人の責めにせずに、100%自己責任という姿勢で臨みたい。
そして、1度立てた目標は、
何年・何十年かかっても、達成するまでその目標を下げずに、
主体変容の心構えで生きていきたい。
手紙 ~拝啓 十五の君へ~
2009年04月02日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
録画していたTV番組を観ました。
2000通もの中学生からの手紙が寄せられたとのことで、
今の中学生が心の中で、
どういったことに悩み・苦しんでいるのかが伝わってくる番組でした。
登場した中学生は、ほぼ全員が女子でしたが・・・・・
ある生徒が言っていました。
「本当の自分を出したら、みんなから嫌われそうで怖い。」
毎日・毎日会っている友達から、自分がどういう風に思われるかは、
中学生にとっては大きな関心事なのでしょう。
一番の頼りになるのが友達でもあり、
一番の悩みの種になるのも友達である…
そんな感じを受けました。

それにしても、中学生の卒業式というのは、何とも感動的ですね。
生徒達同士の別れはもちろん、
先生と生徒との別れのシーンに心を打たれます。
日頃は笑って、別れの際は泣いて・・・
そんな人間関係を築いていきたいものです♪
録画していたTV番組を観ました。
2000通もの中学生からの手紙が寄せられたとのことで、
今の中学生が心の中で、
どういったことに悩み・苦しんでいるのかが伝わってくる番組でした。
登場した中学生は、ほぼ全員が女子でしたが・・・・・
ある生徒が言っていました。
「本当の自分を出したら、みんなから嫌われそうで怖い。」
毎日・毎日会っている友達から、自分がどういう風に思われるかは、
中学生にとっては大きな関心事なのでしょう。
一番の頼りになるのが友達でもあり、
一番の悩みの種になるのも友達である…
そんな感じを受けました。

それにしても、中学生の卒業式というのは、何とも感動的ですね。
生徒達同士の別れはもちろん、
先生と生徒との別れのシーンに心を打たれます。
日頃は笑って、別れの際は泣いて・・・
そんな人間関係を築いていきたいものです♪
ジョハリの窓
2009年03月25日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
3月は、保護者カウンセリングということで、
保護者様とお話しさせていただいている。
「我が子1人の育てでも大変なのに、
先生は何十人も指導していらっしゃるから、それは大変でしょうね。」
ということを言っていただくことがある。
でも、
私は他人さまのお子さんを預かっているからこそ、何十人もの指導が出来るだけで、
我が子だったら、今より何十倍も大変ではないかと想像している。
だから、当たり前だが私よりも保護者様の方が何十倍もスゴイし、
教育者だと、本当に思っている。
ところで、保護者様の方が、何十倍もその子のことを知っているのは事実なのだが、
他人の私だからこそ見えるその子の部分というのがあるのも、また事実である。
「ジョハリの窓」
→人には4つの窓がある
①自分も他人も知っている自分
②自分は知っているが他人は知らない自分
③自分は知らないが他人は知っている自分
④自分も他人も知らない自分
アイデンティティという言葉を自我同一性と訳するならば、
①の面積が広い人ほど、アイデンティティがより確立しているということになるかもしれない。
逆に自分を変えたいというのは、
④の窓を開く努力をするということになるだろう。
しかし、人には③の窓もある。
だからこそ、我々のような存在がいたり、
コンサルタントの先生に会社を見てもらったり、
カウンセラーに人生を相談したりするのだと思う。
だから、もしも我が子だったら、
夫婦からは見えないその子の窓を開いてほしいので、
きっと自分の塾には預けないと思う。
いや、預けたとしても自分自身では授業を担当しないというのが
今の私の正確な気持ちかもしれない。

▼ジョハリの窓(畑彩土HPより)
http://saido.at.infoseek.co.jp/jo-harry.html
3月は、保護者カウンセリングということで、
保護者様とお話しさせていただいている。
「我が子1人の育てでも大変なのに、
先生は何十人も指導していらっしゃるから、それは大変でしょうね。」
ということを言っていただくことがある。
でも、
私は他人さまのお子さんを預かっているからこそ、何十人もの指導が出来るだけで、
我が子だったら、今より何十倍も大変ではないかと想像している。
だから、当たり前だが私よりも保護者様の方が何十倍もスゴイし、
教育者だと、本当に思っている。
ところで、保護者様の方が、何十倍もその子のことを知っているのは事実なのだが、
他人の私だからこそ見えるその子の部分というのがあるのも、また事実である。
「ジョハリの窓」
→人には4つの窓がある
①自分も他人も知っている自分
②自分は知っているが他人は知らない自分
③自分は知らないが他人は知っている自分
④自分も他人も知らない自分
アイデンティティという言葉を自我同一性と訳するならば、
①の面積が広い人ほど、アイデンティティがより確立しているということになるかもしれない。
逆に自分を変えたいというのは、
④の窓を開く努力をするということになるだろう。
しかし、人には③の窓もある。
だからこそ、我々のような存在がいたり、
コンサルタントの先生に会社を見てもらったり、
カウンセラーに人生を相談したりするのだと思う。
だから、もしも我が子だったら、
夫婦からは見えないその子の窓を開いてほしいので、
きっと自分の塾には預けないと思う。
いや、預けたとしても自分自身では授業を担当しないというのが
今の私の正確な気持ちかもしれない。

▼ジョハリの窓(畑彩土HPより)
http://saido.at.infoseek.co.jp/jo-harry.html
タグ :ジョハリの窓
昨日という一日の価値
2009年03月17日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
昨日の合格発表日は、精神的にとても長い1日だった。
なぜなら全員合格でなかったからだ。
全員合格でなければ、塾講師にとって、この日は
精神的には地獄の1日となってしまう。
・物凄く頑張っていた生徒が合格した。
そして、
・物凄く頑張っていた生徒が不合格になった。
いつもの模試や特訓の結果なら合格していていいのに・・・
その差は何なんだろうと、本気で悩んでしまう。
正直、物凄く頑張っていた生徒の結果が残念なものだったら、
当日に本人に対しては何も言えない。
というか、声が出てこない。
「これで終わりではないから。」
「ここから、また頑張ればいいから。」
なんて言える心境ではない。
少なくても子供達は合格発表日に笑うために一生懸命に努力してきたのだから、
その日は本人の落ち込みようを見たら何の声かけも思い浮かばない。
ただ、一緒に黙ってしまう・・・
「その瞬間、最悪だと思えたことが、人生にとっては最高の出来事」
私は、これは個人的には真実だと思うのだけれど、
少なくても、時間としてずっと後になってそう感じるものだとも思う。
その瞬間に、それに気がつくことはないだろう。
心から、発表日だけは笑顔が見たかった…。
後悔をする必要はない。
完璧な日々ではなかったかもしれないけれど、
その瞬間・その瞬間は一生懸命だったはずだし、全力だったはずだから・・・。
周りの環境を責める必要はないし、まして、自分自身を責める必要もない。
ショックで落ち込む気持ちは分かる。
だから、今は一生懸命に一緒に頑張ってきた
自分の心を時間とともに、少し休めて欲しい。
頑張らなかった結果ではなく、頑張っての結果なのだから、
何も後ろめたいものはない。
自分自身に胸を張ってほしい。
先生達も君を合格させてあげられなかったという意味で、力不足だったと思う。
もっと力があったらと本気で思う。
しかし、先生達も本心からの全力だった。
やった方がいいと思うことは、全部やった。
「命」という字は、
「人は一度は叩かれる」と書くと習ったことがあります。
君は間違いなく合格してもいいくらいに勉強を頑張ったのだけれども、
それでも発表の日に笑うことが出来なかった。
それは、神様が何か大切なことに気付かせてくれるために、
頭を叩いてくださったのかもしれない。
そして、先生達に何かを気付かせるために、
発表日を地獄の日にしたのかもしれない。
しかし、神様はその人が乗り越えられると信じているからこそ、
その試練を与えている。
だから
「命」なのだと・・・。
先生達は後悔はしていません。
胸を張っての一生懸命の日々だったから。
だから、君もどうか後悔はしないで欲しい。
高校の入学式まで、まだ時間があるから、そこまでは心を休めても構わない。
でも、しばらくしたら、どうかまた立ちあがってほしい。
なぜなら、また新しい一生懸命の日々がスタートするから。
そして、どれだけ時間が経っても、
いつか、昨日という一日の価値に気が付く日が、きっと来るから。
先生達も、新中3生を全員合格させるために、一生懸命の日々が始まります。
昨日の結果を謙虚に受け止め、かつ真剣な日々のスタートです。
1年後の昨日を天国の日に変えるために・・・

君が、また塾に顔を出してくれても、くれなくても、
先生達は、君の更なる成長と幸せを、心から祈っています。
昨日の合格発表日は、精神的にとても長い1日だった。
なぜなら全員合格でなかったからだ。
全員合格でなければ、塾講師にとって、この日は
精神的には地獄の1日となってしまう。
・物凄く頑張っていた生徒が合格した。
そして、
・物凄く頑張っていた生徒が不合格になった。
いつもの模試や特訓の結果なら合格していていいのに・・・
その差は何なんだろうと、本気で悩んでしまう。
正直、物凄く頑張っていた生徒の結果が残念なものだったら、
当日に本人に対しては何も言えない。
というか、声が出てこない。
「これで終わりではないから。」
「ここから、また頑張ればいいから。」
なんて言える心境ではない。
少なくても子供達は合格発表日に笑うために一生懸命に努力してきたのだから、
その日は本人の落ち込みようを見たら何の声かけも思い浮かばない。
ただ、一緒に黙ってしまう・・・
「その瞬間、最悪だと思えたことが、人生にとっては最高の出来事」
私は、これは個人的には真実だと思うのだけれど、
少なくても、時間としてずっと後になってそう感じるものだとも思う。
その瞬間に、それに気がつくことはないだろう。
心から、発表日だけは笑顔が見たかった…。
後悔をする必要はない。
完璧な日々ではなかったかもしれないけれど、
その瞬間・その瞬間は一生懸命だったはずだし、全力だったはずだから・・・。
周りの環境を責める必要はないし、まして、自分自身を責める必要もない。
ショックで落ち込む気持ちは分かる。
だから、今は一生懸命に一緒に頑張ってきた
自分の心を時間とともに、少し休めて欲しい。
頑張らなかった結果ではなく、頑張っての結果なのだから、
何も後ろめたいものはない。
自分自身に胸を張ってほしい。
先生達も君を合格させてあげられなかったという意味で、力不足だったと思う。
もっと力があったらと本気で思う。
しかし、先生達も本心からの全力だった。
やった方がいいと思うことは、全部やった。
「命」という字は、
「人は一度は叩かれる」と書くと習ったことがあります。
君は間違いなく合格してもいいくらいに勉強を頑張ったのだけれども、
それでも発表の日に笑うことが出来なかった。
それは、神様が何か大切なことに気付かせてくれるために、
頭を叩いてくださったのかもしれない。
そして、先生達に何かを気付かせるために、
発表日を地獄の日にしたのかもしれない。
しかし、神様はその人が乗り越えられると信じているからこそ、
その試練を与えている。
だから
「命」なのだと・・・。
先生達は後悔はしていません。
胸を張っての一生懸命の日々だったから。
だから、君もどうか後悔はしないで欲しい。
高校の入学式まで、まだ時間があるから、そこまでは心を休めても構わない。
でも、しばらくしたら、どうかまた立ちあがってほしい。
なぜなら、また新しい一生懸命の日々がスタートするから。
そして、どれだけ時間が経っても、
いつか、昨日という一日の価値に気が付く日が、きっと来るから。
先生達も、新中3生を全員合格させるために、一生懸命の日々が始まります。
昨日の結果を謙虚に受け止め、かつ真剣な日々のスタートです。
1年後の昨日を天国の日に変えるために・・・

君が、また塾に顔を出してくれても、くれなくても、
先生達は、君の更なる成長と幸せを、心から祈っています。
青は藍より出でて藍より青し
2009年03月10日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
あまり威張れたことではないけれども、
塾講師の私は、保護者様とついつい議論になってしまうことがある(^^;
「うちの子は、数学が苦手ですから文系だと思うのです。」
「うちの子は、100番くらいですから50番以内は無理だと思います。」
「うちの子は、勉強は駄目ですから普通科には行けないと思います。」
それらの言葉は、保護者様からの謙虚さから出ている場合も多いのだが、
大抵はお子さんの過去の経験が積み重なって、
保護者様なりに結論を出てしまっているように思える時もある。
・なるほど、これまでずっと数学は他の教科よりも点数が悪かったのかもしれない。
・なるほど、これまでずっと100番前後の順位を取り続けていたのかもしれない。
・なるほど、これまで勉強をやっても成績が上がらなかったのかもしれない。
でも、私は失礼を承知で、反論をさせていただく。
「だからと言って、これから先もそれが続くとは限りません。」と。
ずっと不思議だったことがある。
「それは低学年の生徒ほど入塾後に大きく成績が上がりやすく、
高学年になってから入塾した生徒ほど、成績が上がりにくいのは何故か?」
ということである。
あるデータでは、中1で好順位をとっていた生徒の約80%が
中3でも同じように好順位を取っているという。
それならば、中3になってから、もしくは部活を引退してから塾に通い始めて勉強を頑張り始めても、
逆転はかなり大変だということである。
私の指導経験からいっても、確かに中1生の方が中3生よりも圧倒的に成績を上げやすい。
・・・でも、それは何故か?
最初は、勉強内容が中1生の方が中3生よりも易しいからだと思っていた。
もしくは、中3生は中1・2の勉強と中3の勉強を並行学習しなければならない分で、
大変だからだと思っていた。
しかし、最近の感覚としてそのいずれも理由としては弱いように感じる。
中1の学習内容よりも難しいといえ、
今ほど高校受験の問題が易しい時代はないし、教科書が薄い時代はない。
量が多いと言ってもたかが知れている。
まして、昔の子供達の方が今の子供達よりも能力的に優れているということもないだろう。
だとしたら・・・
中1生の方が中3生よりも成績が上がりやすい最も大きな理由は
ただ1つ…
・これまでどれだけの回数の結果を手にしていたか。
そして、それに伴ってどれだけ自分の思い込みが強化されてきたか。
(東大出身の親が元で育った子どもは、圧倒的に東大に入学する確率が高いという。
それは、能力が遺伝したからではなく環境がそういう環境になっているからだろう。)
中1生は、仮に自分の成績が良くなかったとしても、
その良くない成績を取っている回数が少ないので、
「勉強をしていないから成績が悪い。でも、『やれば出来るはず!』」
と思っている。だから、やったら本当に出来て、成績が上がる。
ところが中3生からの新入生は、
何十回と良くない成績を取ったという事実があるために、
「僕は数学が苦手だ。僕は勉強が出来ない。」
という思い込みが強い。NLPでいうところの、一番上の概念
「アイデンティティ」を自分で否定してしまっているという状態である。
だから、同じ中学校で同じ教科の先生の同じ教科書による授業を受けていても、
文字通り頭に入らない。
私がコーチングとかNLPとかパーソナルモチベーターなどを、とにかく一生懸命勉強しているのは、
その真実ではない思い込みを何とか外してあげたいからに他ならない。
「先生はご自身が勉強が出来るから、そのように仰るのですよ。」
と言われたことがある。
・私は小6の時に自信がない算数でたまたま勇気を出して手を挙げたら小学校の先生から指名されて、
「1時間は100分」と答えて、みんなから笑われたことがあった。
・私が初めて真面目に定期テスト勉強をしたのは高校生からだった。
・大学卒業まで本なんか全く読まない人間だったのに、
本を読まない日はないくらいに本を読むようになった。
キッカケがあれば、いつからでも変われる。
私は、「青は藍より出でて藍より青し」という言葉を信じて、
塾をやっている。私自身が仮に一生懸命に勉強を続けているとは言っても、
子供達の無限の能力を信じているからこそ、
私くらいは超えてくれなくては遣り甲斐を感じないのである。
そういう私の塾経営の信念に関わることなので、
たとえ保護者様相手でも失礼を承知で、物を言わせていただくのである。

とはいっても、自分自身のことは自分では本当に分からないものだと
つい最近気付いた。
そう、私自身が「帰納法」による一般化の呪縛にずっと捕らわれていたこと、
そして、どうやったらその呪縛を外せるのかということに・・・・
* * * * * * * * * * * * * * * *
※青は藍より出でて藍より青し
弟子が先生よりすぐれていることのたとえ。
人が成長する上で、教育や本人の努力がどんなに大切かということのたとえ。
※帰納法(Wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E7%B4%8D
一般的にいって帰納は、あくまでも確率・確度といった蓋然性の導出に留まる。
例えば、「ネコaはネズミを追いかける」「ネコbはネズミを追いかける」「ネコcはネズミを追いかける」という事例が幾つかあるので、「全てのネコはネズミを追いかける」と結論を下すとしよう。ここでは、自分が見たネコだけから「全てのネコ」という全称命題に範囲を飛躍させている。しかし、この先新たにネズミを追いかけない猫が発見される可能性は常にある。したがって、「全てのネコはネズミを追いかける」と定式化することには疑問が残る。
さらに例を挙げよう。地上で太陽を観測し、三日かけて次の観測事実を得たとする。
「おとといも、昨日も、今日も、太陽は東の高い山の脇から上ってきた。」。
ここから次のように結論するのが枚挙的帰納法である。
「太陽はいつも、東の高い山の脇から上る」。つまり、帰納は一般化に基づく。
あまり威張れたことではないけれども、
塾講師の私は、保護者様とついつい議論になってしまうことがある(^^;
「うちの子は、数学が苦手ですから文系だと思うのです。」
「うちの子は、100番くらいですから50番以内は無理だと思います。」
「うちの子は、勉強は駄目ですから普通科には行けないと思います。」
それらの言葉は、保護者様からの謙虚さから出ている場合も多いのだが、
大抵はお子さんの過去の経験が積み重なって、
保護者様なりに結論を出てしまっているように思える時もある。
・なるほど、これまでずっと数学は他の教科よりも点数が悪かったのかもしれない。
・なるほど、これまでずっと100番前後の順位を取り続けていたのかもしれない。
・なるほど、これまで勉強をやっても成績が上がらなかったのかもしれない。
でも、私は失礼を承知で、反論をさせていただく。
「だからと言って、これから先もそれが続くとは限りません。」と。
ずっと不思議だったことがある。
「それは低学年の生徒ほど入塾後に大きく成績が上がりやすく、
高学年になってから入塾した生徒ほど、成績が上がりにくいのは何故か?」
ということである。
あるデータでは、中1で好順位をとっていた生徒の約80%が
中3でも同じように好順位を取っているという。
それならば、中3になってから、もしくは部活を引退してから塾に通い始めて勉強を頑張り始めても、
逆転はかなり大変だということである。
私の指導経験からいっても、確かに中1生の方が中3生よりも圧倒的に成績を上げやすい。
・・・でも、それは何故か?
最初は、勉強内容が中1生の方が中3生よりも易しいからだと思っていた。
もしくは、中3生は中1・2の勉強と中3の勉強を並行学習しなければならない分で、
大変だからだと思っていた。
しかし、最近の感覚としてそのいずれも理由としては弱いように感じる。
中1の学習内容よりも難しいといえ、
今ほど高校受験の問題が易しい時代はないし、教科書が薄い時代はない。
量が多いと言ってもたかが知れている。
まして、昔の子供達の方が今の子供達よりも能力的に優れているということもないだろう。
だとしたら・・・
中1生の方が中3生よりも成績が上がりやすい最も大きな理由は
ただ1つ…
・これまでどれだけの回数の結果を手にしていたか。
そして、それに伴ってどれだけ自分の思い込みが強化されてきたか。
(東大出身の親が元で育った子どもは、圧倒的に東大に入学する確率が高いという。
それは、能力が遺伝したからではなく環境がそういう環境になっているからだろう。)
中1生は、仮に自分の成績が良くなかったとしても、
その良くない成績を取っている回数が少ないので、
「勉強をしていないから成績が悪い。でも、『やれば出来るはず!』」
と思っている。だから、やったら本当に出来て、成績が上がる。
ところが中3生からの新入生は、
何十回と良くない成績を取ったという事実があるために、
「僕は数学が苦手だ。僕は勉強が出来ない。」
という思い込みが強い。NLPでいうところの、一番上の概念
「アイデンティティ」を自分で否定してしまっているという状態である。
だから、同じ中学校で同じ教科の先生の同じ教科書による授業を受けていても、
文字通り頭に入らない。
私がコーチングとかNLPとかパーソナルモチベーターなどを、とにかく一生懸命勉強しているのは、
その真実ではない思い込みを何とか外してあげたいからに他ならない。
「先生はご自身が勉強が出来るから、そのように仰るのですよ。」
と言われたことがある。
・私は小6の時に自信がない算数でたまたま勇気を出して手を挙げたら小学校の先生から指名されて、
「1時間は100分」と答えて、みんなから笑われたことがあった。
・私が初めて真面目に定期テスト勉強をしたのは高校生からだった。
・大学卒業まで本なんか全く読まない人間だったのに、
本を読まない日はないくらいに本を読むようになった。
キッカケがあれば、いつからでも変われる。
私は、「青は藍より出でて藍より青し」という言葉を信じて、
塾をやっている。私自身が仮に一生懸命に勉強を続けているとは言っても、
子供達の無限の能力を信じているからこそ、
私くらいは超えてくれなくては遣り甲斐を感じないのである。
そういう私の塾経営の信念に関わることなので、
たとえ保護者様相手でも失礼を承知で、物を言わせていただくのである。

とはいっても、自分自身のことは自分では本当に分からないものだと
つい最近気付いた。
そう、私自身が「帰納法」による一般化の呪縛にずっと捕らわれていたこと、
そして、どうやったらその呪縛を外せるのかということに・・・・
* * * * * * * * * * * * * * * *
※青は藍より出でて藍より青し
弟子が先生よりすぐれていることのたとえ。
人が成長する上で、教育や本人の努力がどんなに大切かということのたとえ。
※帰納法(Wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E7%B4%8D
一般的にいって帰納は、あくまでも確率・確度といった蓋然性の導出に留まる。
例えば、「ネコaはネズミを追いかける」「ネコbはネズミを追いかける」「ネコcはネズミを追いかける」という事例が幾つかあるので、「全てのネコはネズミを追いかける」と結論を下すとしよう。ここでは、自分が見たネコだけから「全てのネコ」という全称命題に範囲を飛躍させている。しかし、この先新たにネズミを追いかけない猫が発見される可能性は常にある。したがって、「全てのネコはネズミを追いかける」と定式化することには疑問が残る。
さらに例を挙げよう。地上で太陽を観測し、三日かけて次の観測事実を得たとする。
「おとといも、昨日も、今日も、太陽は東の高い山の脇から上ってきた。」。
ここから次のように結論するのが枚挙的帰納法である。
「太陽はいつも、東の高い山の脇から上る」。つまり、帰納は一般化に基づく。
タグ :帰納法
もしも、神様が・・・
2009年02月09日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
もしも、神様がいつも見守ってくださっているとしても
そのような考えを持っただろうか。
もしも、神様がいつも見守って下さっているとしても、
そのようなことを言っただろうか。
もしも、神様がいつも見守って下さっているとしても、
そのような行いをしただろうか。
誰も見ていないから良い
というような生活をしていないだろうか。
誰も見ていないから
この程度で終わらせておこうとしていないだろうか。
誰も見ていないから
これで幕引きになったと考えていないだろうか。
そうではない。
そうではないよ。
自分の都合のいい時だけ神様にお願い事をしようとしても、
神様だってきっと迷惑なはず。
それこそ虫がよすぎる話。
人が自分の都合のいい時だけ神様の力を
借りれるなんて考えたらそんなにおこがましいことはない。
そうではない。
そうではないよ。
神様がいつも・いつも見守って下さるとして、
神様が
「この子は本当によく頑張っているな。
よし、この子の夢実現に力を貸してやるか。」
と思って下さるほど努力をしていて、初めて
ご加護を受けられるのだろう。
神様の力を引き出せるのではない。
神様が力を貸したいと思うほどの努力をするのが先。
神様に力を貸していただくに相応しい自分になるのが近道。
キリスト教が、イスラム教が、仏教が、神道が なんていう、
宗教の差異を問題にしているのではない。
まして、それらに優劣なんてあるはずがない。
そうではない。
そうではないよ。
大切なのは、心の視点。
大切なのは、心の在り方。
私はそれが一番大切だと思っている。
もしも、神様がいつも見守ってくださっているとしても
そのような考えを持っただろうか。
もしも、神様がいつも見守って下さっているとしても、
そのようなことを言っただろうか。
もしも、神様がいつも見守って下さっているとしても、
そのような行いをしただろうか。
誰も見ていないから良い
というような生活をしていないだろうか。
誰も見ていないから
この程度で終わらせておこうとしていないだろうか。
誰も見ていないから
これで幕引きになったと考えていないだろうか。
そうではない。
そうではないよ。
自分の都合のいい時だけ神様にお願い事をしようとしても、
神様だってきっと迷惑なはず。
それこそ虫がよすぎる話。
人が自分の都合のいい時だけ神様の力を
借りれるなんて考えたらそんなにおこがましいことはない。
そうではない。
そうではないよ。
神様がいつも・いつも見守って下さるとして、
神様が
「この子は本当によく頑張っているな。
よし、この子の夢実現に力を貸してやるか。」
と思って下さるほど努力をしていて、初めて
ご加護を受けられるのだろう。
神様の力を引き出せるのではない。
神様が力を貸したいと思うほどの努力をするのが先。
神様に力を貸していただくに相応しい自分になるのが近道。
キリスト教が、イスラム教が、仏教が、神道が なんていう、
宗教の差異を問題にしているのではない。
まして、それらに優劣なんてあるはずがない。
そうではない。
そうではないよ。
大切なのは、心の視点。
大切なのは、心の在り方。
私はそれが一番大切だと思っている。
過去を決めるのは今の自分
2009年01月28日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
中3受験生には、
毎回の授業で10分程度、モチベーションを上げるための話をしています。
1分・1秒を争ってひたすら問題を解かせるだけだったら、
自宅での自習でも構わないこの時期です。
しかし、私はパーソナルモチベーターですから、彼らが
「塾に来て良かった!」
「今日も先生の話を聞いて元気が出た!!」
と思ってもらえるように、一生懸命に話をします。
正直、教科の授業準備よりも、
その10分間で何を伝えるかに随分とエネルギーが要るものです(^^;
昨晩は、入試プレテスト明けの授業ということで、
下記のような話をしました。タイトルは、
「過去を決めるのは今の自分」
(以下、話口調で再現)
例えば、入試プレテストを自己採点してみたら、
点数が悪かった、結果が悪かった、という生徒がいたとする。
入試プレテストを受けたというのは過去の事実だし、
実際の自己採点の点数が悪かったのも事実かもしれない。
でも、君達にとって大切なのは、その事実なのだろうか。
例えば、
君達が10年後に運命の人と結婚して幸せな日々を過ごしているとする。
でも、それまには何人もの人との失恋経験があったかもしれない。
失恋した瞬間は、落ち込んだり元気がなくなったりしたかもしれない。
でも、10年後に運命の人と結婚して幸せな生活を送っている未来からみたら、
それらの失恋のお陰だと、きっと感謝できるだろう。
なぜなら、その失恋のどこかで上手くいっていたら、
10年後のそのパートナーとは結婚出来なかったのだから・・・。
大切なのは過去の事実そのものではなくて、
その過去をどう解釈するかという今の自分。
君達が3月14日の合格発表の時に、見事に合格していたら、
それまでお母さんに怒られたことも友達に負けて悔しかったことも、
今回プレテストでいい結果が出なかったことにも、感謝できるだろう。
だって、どこかで違う結果が出ていたら、
3月14日の合格という結果も変わっていたのかもしれないのだから・・・。
人は不安や悩みを持つべき3倍も抱えて生きていると言われている。
過去の悩み、今の悩み、そして未来の悩み…。
もしも、今に集中することができたら、その不安や悩みは、少なくても3分の1で済むことだろう。
・出来ないことは出来ない
・出来ることは出来る
・だから、出来ることをやればいい
君達が今日出来ることは、今日の勉強に集中すること
君達が明日出来ることは、明日の勉強に集中すること
それで、いいじゃないか。
やるべきことを、1日・1日キッチリとやっていこう!
そうすれば、それまでの過去の出来事全てに感謝できる日が訪れるよ(^^)
(以上、再現終了です。)

私の話やブログが、
どこかの誰か一人の勇気の炎を灯すのに、役立ちますように♪
中3受験生には、
毎回の授業で10分程度、モチベーションを上げるための話をしています。
1分・1秒を争ってひたすら問題を解かせるだけだったら、
自宅での自習でも構わないこの時期です。
しかし、私はパーソナルモチベーターですから、彼らが
「塾に来て良かった!」
「今日も先生の話を聞いて元気が出た!!」
と思ってもらえるように、一生懸命に話をします。
正直、教科の授業準備よりも、
その10分間で何を伝えるかに随分とエネルギーが要るものです(^^;
昨晩は、入試プレテスト明けの授業ということで、
下記のような話をしました。タイトルは、
「過去を決めるのは今の自分」
(以下、話口調で再現)
例えば、入試プレテストを自己採点してみたら、
点数が悪かった、結果が悪かった、という生徒がいたとする。
入試プレテストを受けたというのは過去の事実だし、
実際の自己採点の点数が悪かったのも事実かもしれない。
でも、君達にとって大切なのは、その事実なのだろうか。
例えば、
君達が10年後に運命の人と結婚して幸せな日々を過ごしているとする。
でも、それまには何人もの人との失恋経験があったかもしれない。
失恋した瞬間は、落ち込んだり元気がなくなったりしたかもしれない。
でも、10年後に運命の人と結婚して幸せな生活を送っている未来からみたら、
それらの失恋のお陰だと、きっと感謝できるだろう。
なぜなら、その失恋のどこかで上手くいっていたら、
10年後のそのパートナーとは結婚出来なかったのだから・・・。
大切なのは過去の事実そのものではなくて、
その過去をどう解釈するかという今の自分。
君達が3月14日の合格発表の時に、見事に合格していたら、
それまでお母さんに怒られたことも友達に負けて悔しかったことも、
今回プレテストでいい結果が出なかったことにも、感謝できるだろう。
だって、どこかで違う結果が出ていたら、
3月14日の合格という結果も変わっていたのかもしれないのだから・・・。
人は不安や悩みを持つべき3倍も抱えて生きていると言われている。
過去の悩み、今の悩み、そして未来の悩み…。
もしも、今に集中することができたら、その不安や悩みは、少なくても3分の1で済むことだろう。
・出来ないことは出来ない
・出来ることは出来る
・だから、出来ることをやればいい
君達が今日出来ることは、今日の勉強に集中すること
君達が明日出来ることは、明日の勉強に集中すること
それで、いいじゃないか。
やるべきことを、1日・1日キッチリとやっていこう!
そうすれば、それまでの過去の出来事全てに感謝できる日が訪れるよ(^^)
(以上、再現終了です。)

私の話やブログが、
どこかの誰か一人の勇気の炎を灯すのに、役立ちますように♪
『プラトニック・セックス』
2009年01月19日
NikiNiki会員 しんたさんの日記から
クリスマス・イブに飯島愛さんが亡くなっていたというニュース速報が流れてから、
3週間が経とうとしています。
でも、私はそのニュースが流れてから、ずっと気になっていたことがありました。
「飯島さんは死ぬ間際にどんなことを想っていたのだろう?」
もちろんそれを知る由などないのですが、
あれだけ波乱万丈で生きた方が、
最期の瞬間にどんなことを想うのだろうと考えさせられたのです。

「死に様に生き様が出る。」
私の父が亡くなった後に、母が私に教えてくれた言葉です。
結果的に亡くなった日…父は祖母や姉・兄や親友に会いました。
そして、周りの人がその瞬間に気が付かないくらいに静かに息を引き取りました。
本人は、「もっと生きたい」という強い意志も持っていましたが、
それ以上に病院ではなく自宅にいることにこだわっていました。
だから、私は父はとても幸せな最期だったと思っています。
若い時はとても怖かった父が、最後は仏さまのように見えました。
どのような死に様を迎えたいか…
私は29歳の時にそれを真剣に考えました。
そして、それが思い浮かべた時に、
自分が人生に求める「幸せ」がはっきりと分かりました。

飯島さんの死ぬ瞬間の想いを少しでも感じたくて、
『プラトニック・セックス』を初めて読みました。
そこには私が見聞きしたことのない壮絶な世界が描かれていました。
2000年の飯島さんの28歳の誕生日に出版されたというこの本…
100万冊以上の大ベストセラーとなり、その後、映画やTVドラマになったこの本・・・
今では新刊は手に入らず、需要と供給のバランスでしょうか・・
悲しいかな中古品が「20円」で売られていました。
しかし、本の価値というのはホンというモノにだけあるわけでもなければ、
中に書いてあるジョウホウにだけあるわけでもありません。
私はそこに込められた「想い」が大切だと思っています。
そして、人も単なるモノではないので、
例え体が滅んでも存在そのものが無くなるのではなくて、
やはり「想い」が精神という形で存在し続けていると信じています。
「幸せって何だろう?」
ということを考えるのは、
信仰心の有無に関わらず私はとても大切なことだと思いますし、
その為には、「死」ということからも決して目を背けることなく、
そこから「想い」を感じたり、「感謝の心」を思い出すことが大切だと思っています。
「飯島さんは死ぬ間際にどんなことを想っていたのだろう?」
クリスマス・イブに飯島愛さんが亡くなっていたというニュース速報が流れてから、
3週間が経とうとしています。
でも、私はそのニュースが流れてから、ずっと気になっていたことがありました。
「飯島さんは死ぬ間際にどんなことを想っていたのだろう?」
もちろんそれを知る由などないのですが、
あれだけ波乱万丈で生きた方が、
最期の瞬間にどんなことを想うのだろうと考えさせられたのです。

「死に様に生き様が出る。」
私の父が亡くなった後に、母が私に教えてくれた言葉です。
結果的に亡くなった日…父は祖母や姉・兄や親友に会いました。
そして、周りの人がその瞬間に気が付かないくらいに静かに息を引き取りました。
本人は、「もっと生きたい」という強い意志も持っていましたが、
それ以上に病院ではなく自宅にいることにこだわっていました。
だから、私は父はとても幸せな最期だったと思っています。
若い時はとても怖かった父が、最後は仏さまのように見えました。
どのような死に様を迎えたいか…
私は29歳の時にそれを真剣に考えました。
そして、それが思い浮かべた時に、
自分が人生に求める「幸せ」がはっきりと分かりました。

飯島さんの死ぬ瞬間の想いを少しでも感じたくて、
『プラトニック・セックス』を初めて読みました。
そこには私が見聞きしたことのない壮絶な世界が描かれていました。
2000年の飯島さんの28歳の誕生日に出版されたというこの本…
100万冊以上の大ベストセラーとなり、その後、映画やTVドラマになったこの本・・・
今では新刊は手に入らず、需要と供給のバランスでしょうか・・
悲しいかな中古品が「20円」で売られていました。
しかし、本の価値というのはホンというモノにだけあるわけでもなければ、
中に書いてあるジョウホウにだけあるわけでもありません。
私はそこに込められた「想い」が大切だと思っています。
そして、人も単なるモノではないので、
例え体が滅んでも存在そのものが無くなるのではなくて、
やはり「想い」が精神という形で存在し続けていると信じています。
「幸せって何だろう?」
ということを考えるのは、
信仰心の有無に関わらず私はとても大切なことだと思いますし、
その為には、「死」ということからも決して目を背けることなく、
そこから「想い」を感じたり、「感謝の心」を思い出すことが大切だと思っています。
「飯島さんは死ぬ間際にどんなことを想っていたのだろう?」
タグ :プラトニックセックス飯島愛







